高橋藍は小学生の頃どんな選手だった?リベロも経験したジュニア時代から日本代表まで
高いジャンプ力やスパイクだけでなく、世界でも評価されるレシーブ力を持つ選手として知られています。
でも、高橋選手は小学生の頃から身長が高く、ずっとエースアタッカーだったわけではありません。
中学生の頃には、現在とはまったく違う「リベロ」としてプレーしていた時期もあります。
今回は、高橋藍選手がどんなきっかけでバレーボールを始め、ジュニア時代にどんな経験をしてきたのかを見ていきます。
高橋藍選手がバレーを始めたのは小学2年生
高橋藍選手がバレーボールを始めたきっかけは、2歳年上の兄・高橋塁選手でした。
幼い頃からバレーボールが好きだった兄の練習相手をするうちに、自然とボールに触れる機会が増えていったそうです。
そして小学2年生の頃、兄と同じバレーボールクラブに入団しました。
ただ、最初から高橋選手自身が強く「バレーをやりたい」と希望していたわけではなかったと振り返っています。
当時は野球やサッカーの方が好きだったそうで、兄についていくような形でバレーボールを始めました。
トップアスリートでも、最初から「この競技で世界を目指す」と決めていたとは限りません。
兄弟や友達、家族など、身近な人が競技をしていたことがスポーツを始めるきっかけになるケースも多くあります。
小学6年生で「オリンピックに出る」と決める
高橋選手がバレーボールに強くのめり込むようになったきっかけのひとつが、2013年の東京オリンピック開催決定でした。
当時、高橋選手は小学6年生。
卒業文集には、将来の夢として「バレーボール選手になってオリンピックに出る」という内容を書いています。
小学2年生で兄について始めたバレーボールが、小学6年生になる頃には、自分自身が目標を持って取り組む競技へと変わっていきました。
中学入学時の身長は約155cm
現在の高橋選手を見ると、小さい頃から身長が高く、アタッカーとして活躍していたように感じるかもしれません。
しかし、中学校へ入学した頃の身長は約155cmだったといいます。
バレーボール選手としては決して大きな体格ではありませんでした。
中学校では最初はセッター、その後リベロへ
中学校へ進学した高橋選手は、最初はセッターを務めていました。
しかし、中学生になると使用するボールが変わり、トスを上げ続けることで腕への負担を感じるようになったことなどから、ポジションを変更します。
そこで選んだのが、守備専門のポジションであるリベロでした。
当時、チームのエースを務めていたのは兄の塁選手。
藍選手がボールを拾い、兄がスパイクを打つという形でプレーしていました。
当時は「将来アウトサイドヒッターとして世界で活躍するためにリベロをやろう」と考えていたわけではありません。
その時々の体格やチーム事情に合わせて経験したポジションが、後に大きな武器になりました。
「身長が伸びない」という悩みもあった
兄の塁選手は小学生の頃から身長が高く、中学校でもアタッカーとして活躍していました。
一方で藍選手は、中学校に入ってからもしばらく身長が伸びず、不安を感じていたそうです。
バレーボールは高さが大きな武器になるスポーツです。
周囲に身長の高い選手がいる中で、自分はこの先どうなるのか。中学生の高橋選手も、そんな悩みを抱えていました。
ところが、中学3年生頃になると一気に10cm以上身長が伸びます。
身体の成長とともにプレーの幅も広がり、その後アタッカーとしての可能性も大きくなっていきました。
兄と同じ東山高校へ進学
中学校卒業後、高橋選手は京都のバレーボール強豪校として知られる東山高校へ進学します。
ここでも、先に東山高校へ進んでいた兄・塁選手の背中を追う形でした。
高校では身体の成長も進み、アウトサイドヒッターとして本格的に活躍するようになります。
1年生からレギュラーとなり、当時3年生だった兄と一緒にコートへ立つ機会もありました。
高校3年生で春高バレー日本一へ
高橋選手の高校時代で大きな転機となったのが、高校3年生で迎えた2020年1月の春高バレーです。
主将としてチームを率い、東山高校は大会を勝ち進みました。
そして決勝でも勝利し、春高バレー優勝を達成。
しかも大会を通して1セットも落とさない「失セット0」での完全優勝でした。
小学生の頃から追い続けてきた兄が果たせなかった全国制覇を、高校最後の大会で実現しました。 [oai_citation:1‡文春オンライン](https://number.bunshun.jp/articles/-/861751?page=2&utm_source=chatgpt.com)
高橋藍選手のジュニア時代をまとめると
リベロ経験が現在のプレーにつながっている
現在の高橋選手の大きな特徴は、攻撃だけではありません。
世界トップレベルのアウトサイドヒッターとして、スパイクだけでなくレシーブやディフェンスでもチームに貢献できる選手です。
その土台のひとつになったと考えられるのが、中学校時代のリベロ経験です。
もし中学生の頃に身長が高く、最初からアタッカーだけを続けていたら、現在とは違う選手になっていた可能性もあります。
小中学生ではポジションを決めつけなくてもいい
子どものスポーツでは、身体の成長に大きな個人差があります。
小学校では背が高かった子が中学校では平均的になることもあれば、中学3年間で一気に身長が伸びる子もいます。
そのため、小学生や中学生の段階で、
「この子は小さいからアタッカーには向いていない」
「このポジションしかできない」
と可能性を決めつける必要はないのかもしれません。
高橋選手も、セッター、リベロ、アウトサイドヒッターと、成長する中で異なる役割を経験しています。
高橋藍選手のジュニア時代から見える3つのこと
最初から将来のポジションを決める必要はない
高橋選手のジュニア時代を見ると、「今できること」だけで子どもの将来を判断するのは難しいことがわかります。
中学校ではリベロだった選手が、その後、日本を代表するアウトサイドヒッターになる。
ジュニアスポーツには、そんな成長の可能性があります。
もちろん、すべての子どもが日本代表やプロ選手を目指す必要はありません。
大切なのは、子ども自身がスポーツを楽しみながら、いろいろな経験を積める環境に出会うこと。
これからスポーツを始める場合は、ひとつのチームだけで決めず、いくつかのクラブを見学したり体験したりしながら、その子に合った環境を探してみてもよいのではないでしょうか。
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